『こころの旅』、『生きがいについて』 神谷美恵子
『こころの旅』の記述になるが、
--友情の場合もそうだが、結婚においては、自己放棄がいっそう多く必要とされる。そこが単なる性的結合とも違う重要な点の一つであろう--
--これをあえてひきうけるには、「放棄しうる自己」がそれまでに育っていなければならない--
--その場合にのみ、相手との結合において自己を放棄すべきときは放棄し、しかもなおそれぞれの配偶者が独立人格でもありつづけるという奇跡的な柔軟性が現れうる--
という、とても好きで、ハッとさせられる、味わい深い一節がある。
恋愛でも、友情でも、家族でも、
相手を大事にしたい
と思った時、そこには献身の精神が生まれざるを得ない。
ただ「いい感じだから」
ただ「そういうもんだと思ったから」
では、上に言う「柔軟性」が生じず、好調な時はそれでよくとも、壁にぶつかってあっけなく潰えざるを得ない。
ビジネスも同じだろう。
好景気に乗り、ブームに乗り始めたビジネスは、往々にして景気の分かれ目に弱い。
ここでいう「放棄」という単語には、ネガティブな意味合いは薄い。
ビジネスを始めるにあたって、ネガティブなシナリオを想定しておくべし、という考えと近いとも言えるが、やはり微妙に違う。
劣勢になっても、世界中を敵に回しても、ここまでは退かない、という覚悟の度合い、のような前向きな精神だろう。
愛する人の言いなりに、ただただ合わせる、という話ではない。
滅私奉公たれ、という話でもない。
自分の持つ大事なものを、どこまで捨てる覚悟ですか?という、
自分自身への問い。
これが「放棄しうる自己」の見定め、なのだと思う。
同じく『こころの旅』ではこうも書かれている。
--過度の献身は相手の重荷になる-- と。
自分に無理があれば、それは相手への無理に繋がる。
何よりも、自分に無理があれば持続性を伴わない。
結局、自分を大事にすることからしか、相手を大事にすることはできない。
「過度」かどうかの見極め。
この水準、定義を決めるのは、自分である。
自分の体の中に、真に無理のない水準として溶け込んでいれば、「過度」として相手の重荷になることはそう無いだろう。
結局、人を大事にする、とは、自分を大事にする、ことであり、
自分を大事にする、ためには、自分を知らなければならない。
自分を知る、ためには、自分と会話ができなければならない。
自分との会話の仕方は難しい。
それでも、この自分の本心と向き合わない先に、自他の幸福は無い。
著者は、この自分の本心について
「こころの声」「からだの声」という表現で作中(『生きがいについて』)何度も登場させる。
--社会的にどんなに立派にやっている人でも、自己に対してあわせる顔のないひとは次第に自己と対面することを避けるようになる。心の日記も付けられなくなる--
--ひとりで静かにしていることも耐えられなくなる--
--たとえ心の深いところでうめき声がしても、それに耳をかすのは苦しいから、生活をますます忙しくして、これをきかぬふりをするようになる--
--この自己に対するごまかしこそ生きがい感を何よりも損なう--
--そういう人の表情はたるんでいて、一見してそれとわかる--
--愚痴こそ、生きがい感の最大の敵である--
いやはや。
--自己の内面に向かってこころの目をこら--せ、との著者の言葉は重たい。
結局、自分の満足、自分の生きがいについて、考え続けねばならないのだと悟る。
自分を分かること、が、未来という時間軸を包含しているのであれば、自分の心の満足をしっかり分かってあげることが、自分を分かる、ということだろう。
その自分の満足は、時々刻々と変わりうるし、明日にはまた分からなくなる可能性が強い曖昧模糊とした極めて頼りないメッセージではあるものの、
それを忠実に丁寧に拾ってあげられるのは、それでもやはり自分しかないのだろう。
そしてその自分を分かった先に初めて、
自分としてその生きがいのためにどこまでの献身ができるかという応分を知り、
そこに過度が無くなるため、その対象に対し、重たさではなく温かみ、美しさでもってその精神が映り、
はじめて人を、大事にできるのだと思う。
人を大事にしたいという考えは、巷にあるテクニック論ではなく、かくも本質的な、自己との対話の先にしかない、という苦々しい事実。
愛する人のために仕事を捨てられるのか
愛する人のために時間と体力を捧げられるのか
そこに愚痴は無いか
生きている限り、生きる甲斐、との禅問答は避けがたい。
【神谷美恵子】(かみや みえこ)
1914年(大正3年)1月12日 - 1979年(昭和54年)10月22日
「戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人」、「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けていた」、「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られる。
【こころの旅】
--人の生にこんなにも重味が感ぜられるのはその生命にこころなるものがあまりにも発達してそなわってしまったからなのであろう。人生とは生きる本人にとって何よりもまずこころの旅なのである--の序文から始まる著者晩年の一冊。
生命の芽生えから人生の終章まで、ひとのこころの歩みを、その一歩一歩をたしかめるように、丁寧にたどっていく。人生への愛情と洞察にみちた静かな言葉で綴られた一冊。
【生きがいについて】
--平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる--の書き出しから始まる著者代表作。
ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、生きた思想の結晶として、1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた一冊。